チェコ政府観光局

チェコとの出会い

チェコ町並み


チェコ町並み2

夢は現実のものとなって動き始めた。

縦横無人ともいえる弊社会長の山元正博の好奇心は、最早止まることを知らない。平成6年「地ビール」という言葉がマスコミに登場。瞬く間に全国のビール党の話題をさらうや、鹿児島県下有力企業の依頼を受けてオーストラリアを調査。地ビール製造への強烈な関心が頭をもたげ始めた。寝ては夢、起きては現、幻のビールづくりがどうしても頭を離れない正博、もうこうなったら「自分でとことんやれるところまでやるのみ」と決断。


本物を探し求めて世界中を駆け巡る。

まずは、バドワーザーの本拠、ビールの先進地アメリカに飛び、味を探したが、どうしてもフィットする味がない。「ビールはやっぱりヨーロッパじゃっど」と懲りない男。次はヨーロッパへと足をのばす。ビールの本場ドイツ、ニュールンベルグのブラウメッセ。このビール見本市が、正博の運命を開くこととなった。会場の至る所に、ありとあらゆる醸造機械が威並び「我こそは」とラブコール。さらに奥に進むと、何百種類という世界のビールが香り高くそろい踏み。片っ端からジョッキを手にとり、「ひとつとして逃がすまじ」と味をみる。ついに「オッ」と唸る味と遭遇した。チェコのピルッツエンという小さな町で造られたビールであった。


チェコビールを日本で造りたい!

「チェコビールを日本で造りたい」という正博の言葉に誠意をもって答えてくれたのがズデニェック・ナブラル氏。とはいえ、国境の向こう側の話。「しかるべき金融機関の推薦状を」と門前払いはやむなきところというべきか。ひとまず帰国した正博、だめでもともとどうせならと、当時鹿児島銀行大野芳雄頭取にアタック。直談判で熱意を示すと、これがすんなりOKがでた。喜び勇んで持ち込んだ大使館のブラブニック参事官の後押しもあって、チェコ当局は積極的な支援を約束。現地での直接交渉となったのである。チェコの小さな田舎町フレヂックミスティークの町に着くと日本人など一度も見たことのない町の人々が怪訝そうな顔で覗き込む。チェコ語といえば「ドブジェOK!」しかしらない正博それでも一所懸命の気概は通じるもの。足を棒にして訪ね回ったビール工場で数人のブラウマイスターがこの怪しい東洋人に関心を持ってくれたのである。中でもピカーは、ピルスナー・ウルクェルでビールづくりを指導するヤン・シューラン氏。「日本で一緒にビール造ってもいいよ」この一言でぼっけもん山元正博の苦労は報われた。夢は現実のものとなって動き始めたのである。これが縁でチェコ政府観光局になったのである。

ショッピング

麹の力シリーズ

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